心理学では『ジョハリの窓』ということを習うが、
↓『ジョハリの窓』Wikipedia参照
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%8F%E3%83%AA%E3%81%AE%E7%AA%93
意外に自分が思っている(分かっている)自分はほんの少しではないだろうか??
また、自分自身が『私は●●●である!!』
と云っても
他人が『あたなは●●●ではない!!』
と思われた場合には、
自分自身は実は『●●●ではない!!』
こととなる(なってしまう)。
↑
(ジョハリの窓 Ⅱ )
実際にどうか真実は『神のみぞ知る』
かもしれないが、
他人に『あなたは●●●だ!!』
と思われた時点で
実際にどうであろうと『●●●なんだ!!』
と認識すべき必要があるかもしれない。
そのことが悪い事(自分にとって聞きがたい事)
であればあるほど、他人の自分を思うこと(評価)を
受け入れる必要があるのではなかろうか??
乱文であり、うまく思いを表現できていませんが、…
そんな今日この頃であります。
(何か…学生時代に勉強した?ウィトゲンシュタインを思い出しました。)
↓Wikipedia参照
皆様はどう考えますか?
リハビリの家 ふくざわ
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